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宇都宮地方裁判所 昭和33年(レ)6号 判決

控訴人 小池富士男

被控訴人 中村カネ

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求はこれを棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、

(一)  被控訴代理人において、「被控訴人主張の本件約束手形は控訴人小池富士男個人によつて振出されたものであつて、被控訴人はその範囲でのみ請求するものである」と述べ、控訴人の当審における主張事実に対し「控訴人の自白の取消には異議がある。本件約束手形の振出人欄に、栃木県椎茸協会理事長小池富士男という記名ゴム印が押捺されているのは、控訴人が本件手形を振出す際偶々その場にあつた右記名ゴム印を使用したためで、訴外中村正が右振出名義の訂正を求めたのに対し、控訴人が責任をもつて支払うというのでそのまゝ受取つたものであり、同協会が借入れたというが如きことは同協会の帳簿にも記載されておらず、結局右手形は控訴人個人が中村正から一〇万円を借入れたのに対してその支払のために振出されたものである」と述べ、

(二)  控訴代理人において、「控訴人個人が訴外中村正に宛てゝ本件約束手形を振出したことは否認する。この点につき控訴人が原審以来、控訴人個人が振出したとの被控訴人の主張事実を自白したのは、事実に反し錯誤に基くものであるからこれを取消す。右手形は訴外栃木県椎茸協会(以下椎茸協会と称する)が振出したものである。すなわち本件約束手形が振出された事情は次のとおりである。控訴人は昭和三一年二月末日訴外小林勝由等と椎茸協会を設立し、同年三月末日より小林勝由の紹介により訴外中村正がこれに出資して参加したが、同人は二〇万円を出資する約束であつたに拘らず現実には一〇万円しか出資しなかつた。ところが昭和三一年中頃より椎茸協会は多大な人件費並びに宣伝費がかゝり、それに引換え予定された利益が回収されなかつたためひどい赤字を続け、理事長であつた控訴人が個人的に他より債務を負担しこれを更に協会に貸付けて何とか経営を続ける状態であつたので、控訴人は昭和三一年一〇月一〇日頃中村正に対し未払出資金一〇万円の出資を求めたところ、同人は五万円の追加出資をすることになつたが、その際中村正が妻(被控訴人)に対する手前、先に出資した一〇万円も合わせて約束手形を書いて貰いたい、勿論この約束手形で請求するようなことはしないと要請したので、控訴人等は当時椎茸協会は財政的に行詰つた経営を続けていたものの必ず将来莫大な利益を得て注ぎ込んだ資金を回収できると考え、同協会の経営が黒字になつた場合は協会として出資金を返済するつもりであつたので、控訴人が同協会の理事長の資格で中村正に対し、同日本件約束手形と、額面五万円の約束手形を振出したのである。右のような事情であつたので、中村正は本件約束手形については支払期日に至るもこれを呈示せず、控訴人に対し何等の請求もしなかつたのであるが、昭和三二年二月下旬椎茸協会の経営が甚だ困難となり、経営に関する内輪もめが表面化して遂に同協会が分裂し、控訴人は有限会社栃木県椎茸協会を、中村正と小林勝由は共同で同一目的の有限会社大興産業を設立し経営するに至つたため、本件約束手形金を控訴人に対して請求するに至つたのであつて、前述の如く本件約束手形は本来出資金に対して振出されたものであり、当事者間においては少くとも椎茸協会の経営が黒字になるまで請求しない約束だつたものである。ところで椎茸協会は椎茸種菌原木榾木の斡旋販売を目的として設立されたもので、同協会の独立した財産があり、財産の管理方法及び各社員の職務等も定められ、定款こそ作成しなかつたが内外ともに法人としての形態を備えていたのであるから、いわゆる権利能力のない社団である。而して控訴人は椎茸協会の代表機関として同協会を代表して本件約束手形を振出したものであるから、控訴人個人としては右手形金の支払をする義務がない。仮に椎茸協会が権利能力のない社団ではないとしても民法上の任意組合であつて、控訴人は椎茸協会の代表者としてその代表資格を示して組合員全員を代理して本件約束手形を振出したものであるから、被控訴人が控訴人に対して組合員としての請求をするのであればとにかく、そうでない以上、被控訴人の請求は失当である。なおもし仮りに本件手形が控訴人個人の振出しに係るものとすれば、控訴人が従来主張して来た抗弁を維持するが、原判決事実摘示中(7) の抗弁は撤回する。」と述べたほか、すべて原判決摘示のとおりであるから、こゝにこれを引用する。

証拠として、被控訴代理人は、甲第一乃至第三号証、同第四号証の一・二、同第五乃至第八号証を提出し、原審の証人小林勝由、原審及び当審の証人中村正の各証言を援用し、乙第二号証の一乃至三の成立を認め、同第一六号証は中村正名下の印影が同人の印顆によつて顕出されたことは認めるがその余の部分は不知、爾余の乙号各証はいずれも不知と述べ、控訴代理人は、乙第一号証の一・二、同第二号証の一乃至三、同第三号証の一乃至八、同第四第五号証、同第六第七号証の各一・二、同第八号証の一乃至三、同第九号証の一乃至六、同第一〇第一一号証の各一乃至七、同第一二乃至第一四号証、同第一五号証の一・二、同第一六第一七号証を提出し、原審の証人中村正、原審及び当審の証人福田長次郎、同小池マツイ、当審の証人小林勝由の各証言、並びに原審及び当審の控訴人本人、当審の被控訴人本人の各尋問の結果を援用し、甲第二第三号証及び同第八号証の成立を認め、同第一号証中の裏書の部分及び同第七号証中の小林勝由の署名捺印の部分は不知、その余の部分は成立を認め、爾余の甲号各証はいずれも不知と述べた。

理由

(一)  裏書の部分を除きその余の部分の成立に争いのない甲第一号証(本件約束手形)によれば、その表面の振出入欄には「宇都宮市清住町二七六八、栃木県椎茸協会理事長小池富士男」という記名ゴム印が押捺され、その名下に栃木県椎茸協会理事長の印が押捺されていることが明かである。而して本件手形の振出しに関し、被控訴代理人は控訴人が昭和三一年一〇月一〇日訴外中村正に対し金額一〇万円、満期日昭和三二年一月一〇日、振出地及び支払地宇都宮市、支払場所株式会社足利銀行宇都宮支店なる約束手形を振出した旨主張し、これに対し控訴代理人は、原審において、控訴人が被控訴人の主張するような約束手形を振出した事実を自白したことは記録上(原審第二回口頭弁論調書)明らかである。

もつとも原審記録によれば、昭和三二年四月二〇日付控訴(被告)代理人提出の答弁書には、被控訴人(原告)主張の請求原因事実中、第一項の事実(控訴人が訴外中村正に対し本件約束手形を振出したとの事実)を否認する旨が記載されており、また、同年六月二一日付、同年九月一〇日付、同年一一月八日付、同年一二月一〇日付控訴代理人提出の各準備書面においては、本件約束手形は控訴人が訴外椎茸協会理事長として振出したものである旨記載されていることが認められるけれども、右昭和三二年四月二〇日付の答弁書は陳述されずに原審第二回口頭弁論(昭和三二年五月二一日)において控訴代理人は請求原因第一項は認める旨答弁していることが明らかである。従つて、その後の口頭弁論において控訴代理人が前記各準備書面を陳述し、控訴人が本件約束手形を振出したことを争つても、一旦生じた前記自白の効力は、右自白が真実に反し錯誤に出でたものであることを主張立証しない限り、覆すことができないものといわなければならない。

(二)  そしてこの自白について、控訴代理人は当審第九回口頭弁論(昭和三四年八月一九日)に至つて初めて、「控訴人は原審の口頭弁論以来始終一貫して控訴人が本件約束手形を振出したことを争つて来たものであり、原審第二回口頭弁論調書に被告の答弁として請求原因第一項は認めると記載されているのは何等かの誤りである。而して控訴代理人は原判決事実摘示に控訴人が本件約束手形を振出したことを認めるとなつているのに気付かずに当審においても原判決事実摘示のとおり引用したのであるが、これは錯誤にもとずくものであるから撤回する。」旨主張したが、(この点に関し原審第二回口頭弁論調書の右記載が誤りであることについては何等の立証も存しないから、右調書の証明力を覆すことができず、右記載を事実と認めるほかはない。)次いで当審第一〇回の口頭弁論において、控訴人は昭和三四年九月二一日付の準備書面に基き、右の点に関する主張を「控訴人が従来本件手形を控訴人個人が振出したことを自白したのは、事実に反し錯誤に基くものであるから取消す、本件手形は控訴人個人が振出したものではなくて栃木県椎茸協会が振出したものであり、右協会は権利能力なき社団であつて、仮りに然らずとするも民法上の組合であり、控訴人は右協会の代表者として本件手形を振出したものであるから控訴人に支払の義務がない。」と補充整備した。

よつて原審における控訴人の自白が果して真実に反し且つ錯誤に出たものであるか否かを以下に検討する。

(三)  控訴人の自白が真実に反することが証明されるためには、先ずその前提として栃木県椎茸協会なるものが法律上実在し、且つ控訴人が椎茸協会を代表して手形を振出す権限を有していたことが証明されなければならない。

そこで成立に争のない乙第二号証の一乃至三、当審の控訴人本人尋問の結果により成立の認められる乙第三号証の一乃至八、同第四第五号証、同第六第七号証の各一・二、同第八号証の一乃至三、同第九号証の一乃至六、同第一〇第一一号証の各一乃至七、同第一二乃至第一四号証、同第一五号証の一・二、同第一六号証、原審及び当審の証人福田長次郎、同中村正、同小池マツイ、同小林勝由の各証言、並びに原審及び当審の控訴人本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  昭和三一年二月末頃、控訴人と訴外小林勝由及び福田長次郎の三名は、椎茸種菌及び生産品の販売並びに栽培指導等を目的とする共同事業を営むことになり、控訴人は金二〇万円を出資し、小林と福田の両名は椎茸菌栽培等に必要な技術を提供する約束で、栃木県椎茸協会という名称のもとに同年三月初旬頃宇都宮市清住町二七六八番地の控訴人の旧居宅内に事務所を設けて営業を開始した。

(2)  右椎茸協会は将来経営が順調となれば会社組織にする考えのもとに設立されたもので、発足に際し有限会社としての定款案・総会議事録等も作成せられたが、法律上の手続をとらないまゝ、右三名協議のもとに控訴人が理事長として同協会を代表して業務の執行に当ることになり、小林は専務理事、福田は常務理事に就任してそれぞれ技術面を担当した。

(3)  その後同年三月末頃に至り、訴外中村正が控訴人の紹介で椎茸協会の事業に参加することになり、同月三一日一〇万円を出資し、以後常務理事として同協会の会計を担当した。

(4)  椎葺協会の職員は会計を手伝う女子事務員一名のほか、種菌の販売栽培指導のための技術員(外務員)若干名が居り、足利銀行宇都宮支店に栃木県椎茸協会理事長小池富士男という名義で当座を設け、通常同協会名義の小切手を振出して右当座預金から支払つていた。同協会の資産としては自動車一台、事業に必要な商品(原木やそれを打込む機械)等があり、出納帳・仕訳帳・元帳等の帳簿類も備わつていた。但し、同協会はその構成員資産等いずれも小規模のものであつたため、総会の運営財産の管理等は別段規則によつて定めることなく、その都度控訴人等会員が相談して事務を処理していた。

(5)  椎茸協会はこのようにして事業を開始したが、経営不振で欠損を続け、殊に同年秋頃からは運営資金が枯渇し、控訴人の尽力にも拘らず資金調達が十分に行われず、加えて協会内部においては経営方針等につき控訴人と中村らの意見が対立して思うに任せなかつたため、同年一〇月末頃福田が脱退し、翌昭和三二年二月頃中村正と小林勝由が独立して同一事業を目的とする有限会社大興産業を設立し、同年三月頃には控訴人も有限会社栃木県椎茸協会を設立し、こゝに椎茸協会は事実上分裂解散したが、解散による清算手続は現在に至るもなされていない。

以上の事実を認定することができ、ほかに右認定を動かすに足る証拠は存しない。

而して前記認定の事実によれば、椎茸協会は将来会社組織とする予定で設立されたものであるけれども、法律上の会社設立手続は何等履践されなかつたのであるから法人といゝ得ないのは無論であるが、椎茸種菌及び生産品の販売並びに栽培指導という共同事業を営む目的のもとに、控訴人が二〇万円の金銭を出資し、訴外小林勝由と福田長次郎が労務(椎茸菌栽培に必要な技術等)を出資して設立せられ、更に訴外中村正がこの共同事業に加入して一〇万円の金銭出資を為したのであるから、民法上の組合契約により設立されたことが明らかである。のみならず前記認定の事実によれば、椎茸協会には出資金の他自動車一台と商品等の組合財産があり、不完全ながらこれを管理するための帳簿も備えられ、各組合員の業務分担も定められており、且つ控訴人が組合員を代理して業務を執行する委任を受け椎茸協会理事長として業務執行に当る等、組合としての実態を有していたことが明らかであつて、控訴人が椎茸協会の経営をほしいまゝにしていたような事実は認められないから、たとえ控訴人が椎茸協会の実権を握つていたとしても、椎茸協会が民法上の任意組合であるとの認定を妨げるものではない。

控訴人は椎茸協会が権利能力のない社団であると主張するが、権利能力のない社団として法人の規定の適用を受け得るためには、団体としての組織を備え、代表の方法、総会の運営、財産の管理その他社団として主要な点が規則によつて確定していなければならないのであつて、前記認定によれば椎茸協会にかゝる社団としての組織、運営方法が定められていたとは到底認めることができない。

もつとも、会社設立を目的とする団体は、いわゆる設立中の会社として法律効果の帰属主体たり得るのであるが、設立中の会社というためには、少くとも会社設立の第一段階である定款の作成(株式会社については商法第一六六条、第一六七条。有限会社については有限会社法第五条。)が完了しなければならないと解するから、椎茸協会において定款作成の手続すら経ていない以上(当審の控訴人本人尋問の結果によれば、前記乙第一五号証の一の有限会社栃木県椎茸協会定款は訴外小林勝由が試みに作成した案にすぎないもので、有限会社、株式会社、或は財団法人のいずれにするか話し合いのできないまゝの状態で遂に定款の作成に至らなかつたことが認められる)、設立中の会社ということはできない。従つて、椎茸協会は民法上の任意組合であり、控訴人は本件約束手形振出当時、組合員の委任にもとずき理事長として業務を執行する権限を有していたものと認められる。

(四)  よつて、果して控訴人が右組合の理事長として、組合員全員を代理して本件手形を振出したものであるか否かを次に検討する。

約束手形は文言証券であり不要因証券であつて、手形行為は手形上の記載文言に従い客観的に解釈せられるのが原則であるから、椎茸協会が民法上の組合として実在し且つ控訴人が同協会を代表して手形を振出す権限を有する以上、本件約束手形は、前記振出人欄の記載に照し、控訴人が椎茸協会理事長の資格を示して組合員全員を代理して振出したものの如くに一応考えられるが、約束手形にかゝる効力が付与せられるのは、転々流通する手形の文言証券不要因証券としての特質に鑑み、手形面の記載を信頼して手形を取得した者を保護して取引の安全を期するにあるから、組合の代表者が手形振出人欄に代表資格を表示して署名押印していても、右代表者が個人の資格で振出したものと認むべき特別の事情が存し、且つこれを信頼して手形を取得した者があるときは、かゝる手形権利者はその事実を主張立証して、手形の記載文言に拘らず、真実の手形振出人たる個人に対してその権利を行使することができるといわなければならない。そして被控訴代理人は本件約束手形がその記載文言に拘らず控訴人個人において振出したものであると主張し、控訴人においても一旦これを自白したのであるから、右自白によつて被控訴人は、前述の如き特別の事情を立証しなくても、控訴人個人に対して本件手形上の権利を行使し得たのである。ところが控訴人は当審において右の自白が錯誤に基くことを理由として之が取消を主張するのであるから、右自白が真実に反することを証明するためには、控訴人は単に本件約束手形の振出人欄の記載文言により椎茸協会の振出と認められるというのみでは足りず、進んで実際にも控訴人が椎茸協会を代表して本件約束手形を振出したものであることを立証(立証責任の転換)しなければならない。

而して控訴人は本件約束手形振出の事情として、「控訴人が昭和三一年一〇月一〇日頃中村正に対し未払出資金一〇万円の出資を求めたところ、同人は五万円追加出資するが妻(被控訴人)に対する関係上先に出資した一〇万円も合わせて約束手形を書いて貰いたい旨要請したので、控訴人は椎茸協会理事長の資格で出資金の受領を証するため、少くとも同協会の経営が黒字になるまでは請求しないという約束で本件約束手形を振出したものである」旨主張し、そして原審及び当審の証人福田長次郎、同小池マツイ、当審の証人小林勝由の各証言、並びに原審及び当審の控訴人本人尋問の結果中には右趣旨に添う供述が存し、また当時の事情を記載した控訴人の日記であることが認められる乙第一号証の二には「昭和三二年一〇月一〇日中村正より五万円の出資を得前回分と一五万円の出資となるも一応手形を書く同氏の強い要望もあり」と記載されているので、之等の証拠からみると本件約束手形は、控訴人が椎茸協会の理事長として、同協会に対する中村正の出資金の受領を証し或はその返還のために振出されたものとみられないこともなさそうである。

然し乍ら(イ)民法上の任意組合においては、出資金は組合財産の基本をなすものであつて、組合が解散して清算手続に入るか、或は組合員が組合を脱退した場合でなければ、組合員の出資金返還請求権は発生しないのであるから、何等そのような事態に立到つていない段階において、組合員に対する出資金返還のためこれを原因関係として組合代表者が組合員全員を代理して約束手形を振出す如きことは通常考えられないところである。(ロ)又控訴人主張の中村正の一〇万円の出資金が同年三月三一日に出資せられたことは当事者間に争いがないところであつて、成立に争いのない甲第二号証、原審及び当審の証人中村正の証言及び控訴人本人尋問の結果によれば、右出資に際し控訴人は椎茸協会理事長として中村正に対して一〇万円の出資金受領証(甲第二号証)を発行していることが認められるのであるから、永年事業経営に従事し手形取引にも明かるいと認められる控訴人が、何故に重ねて出資金の受領を証するために受領証と引換えることもせずに、これと全く別個の権利関係を生ずる本件約束手形を出資の時より半年も経過した時期において振出したのか全く納得し難い。(ハ)なお、もし控訴人主張のように、当日五万円の追加出資がなされた際中村正から要請されて本件約束手形を振出したというのであれば、何故に同時に振出された右五万円の出資を証すべき約束手形(成立に争のない甲第三号証)についてその振出人欄の記載が本件約束手形と異つて控訴人個人名義となつているのか、又本件約束手形の支払期日が昭和三二年一月一〇日であるのに対し右五万円の約束手形の支払期日は昭和三一年一一月一〇日となつているのであるが、何故に同じ出資金の受領を証するこれら二通の手形が満期を異にするのか、いずれも明らかでない。かような点を考えると前掲各証拠は俄に措信し難く、ほかに控訴人の主張を裏付ける証拠はない。従つて本件約束手形は中村正の一〇万円の出資金の受領を証し或はその返還のため、控訴人が組合を代表して振出したとの控訴人の主張事実は到底認めることができない。

或は控訴人が明瞭に主張しているわけではないが、弁論の全趣旨と原審及び当審の控訴人本人尋問の結果によれば、当時椎茸協会は経営不振のため、控訴人が個人的に他より債務を負担し、これを同協会の運営資金に貸付けて何とか経営を続ける状態であつたことが認められるので、これと前記認定のように当時中村正が椎茸協会の経理を担当しその運営に参画していた事実からして、或は中村正が椎茸協会の運営資金として同協会に一〇万円を貸与し、これを原因関係として控訴人が同協会を代表して本件約束手形を振出したのではないかということも一応考えられるけれども、控訴人が同協会の運営資金を得るために個人的に他より債務を負担し、これを更に同協会に貸付ける方式をとつていたことは控訴人の前記供述により明かであつて、かゝる方法以外に同協会が直接他から運営資金を借受けたことは殆どなかつたことが認められ、又もし右の一〇万円が中村正から同協会に対する貸金であるとすれば、同日交付した五万円はその約束手形の振出人欄の記載より判断して中村正から控訴人個人に対する貸付と解さざるを得なくなり、このように同じ日に一〇万円を椎茸協会に、五万円を控訴人個人に貸付けたというが如きは不合理で納得し難く、且つ中村正は同協会の会計係としてその経営不振を知悉していた筈であるから、取立不能となる虞れのある同協会に対して果して貸付をするかどうかも疑わしい。更に或は同日控訴人が椎茸協会の資金として五万円を個人的に中村正より借受けた際、同人の要請により先に同人が協会に出資した一〇万円について本件約束手形を振出したものと考えるならば、以上に説明した疑点の若干は解消し得るけれども、出資金の受領を証し又はその返還のために約束手形を発行するというが如きことについては前述の(イ)及び(ロ)の疑点が残るし、ほかにこれらの疑点を解明するに足る証拠は存しない。然らば以上いずれの場合を考慮しても、控訴人が椎茸協会を代表して本件約束手形を振出したとの事実は控訴人において立証することができなかつたといわなければならない。

一方、右の点に関して被控訴人側が主張する「中村正が控訴人個人に一五万円を貸付け、その支払のため控訴人が個人の資格で本件約束手形及び五万円の約束手形を振出したものである」という点についても、原審及び当審の証人中村正の「本件約束手形が椎茸協会名義になつているので困ると申入れたところ、控訴人は責任は私個人が負うから心配するなというので、そのまゝ手形を受取つておいた」という趣旨の証言は、転々流通する手形の主たる債務者である振出人の意義を軽視するものであり、日常手形を利用して手形取引に明るい筈の当事者が、かようなことで振出人名義を訂正もせずにそのまゝ放置していたというが如きは誠に不自然であつて、たやすく措信するわけにゆかず、また椎茸協会の元帳(当審の証人中村正の証言により成立の認められる甲第四号証の一・二)の記載は、不正確で他の証拠に照し出資金や借入金に関する金銭の出納がその都度正確に記載されているものとは認められないので、右帳簿に記載がないからといつて直ちに右金員が控訴人個人に対する貸付であるとは断定できないのである。

然しながらいずれにしても、被控訴人は本件手形はその振出人欄の記載如何に拘らず控訴人個人が責任を負つて振出したものであると主張し、そして控訴人は一旦右被控訴人の主張事実を自白したのであるから、控訴人においてその自白が真実に反し錯誤に基くことを立証し得ない以上、控訴人の自白の取消はその効力を生ぜず、依然として原審における自白は当審においてもその効力を有するものであり、そして右自白によると控訴人個人において被控訴人主張の本件約束手形を中村正に宛てて振出したことは当事者間に争いがないものとして被控訴人の主張を理由あるものといわなければならない。

なおちなみに、民法上の組合の代表者が代表資格を表示して振出した手形による債務は、商法第五〇一条第四号第五一一条第一項により組合員全体の連帯債務となるから、手形権利者が組合員個人に対し手形金を請求するときは、組合員内部の求償関係はともかく、その請求を受けた組合員は手形金全額の支払を免れないのであつて、控訴人の従前の主張(原判決事実摘示抗弁(7) 右主張は当審第一〇回口頭弁論において撤回)のように出資の価額に応じ各組合員の債務が定まるものではない。

(五)  そこで控訴人主張の抗弁を順次判断するに、

控訴人はまず、「控訴人は椎茸協会の理事長として中村正に対し出資金の受取書の意味をもつて本件約束手形を振出したものであるから、手形作成の効果意思を欠く無効の手形である(原判決事実摘示抗弁(1) )」旨主張し、又「出資金は後日椎茸協会の利益金をもつて返還する約束であつたけれども、同協会の事業が振わず欠損を続けてきたものであるから、右約旨により中村正の出資金返還請求権は発生しない(同抗弁(2) )」旨主張する。然し乍ら前記認定のとおり、本件約束手形は出資金の受領証として或はその返還のために振出されたものとは認められないから、控訴人の右抗弁はいずれもその前提を欠き理由がない。

次に控訴人は、「本件約束手形は、中村正においてこの手形による請求はしないといつて、控訴人を欺罔して振出させ騙取した手形である(原判決事実摘示抗弁(3) )」旨主張する。而して原審及び当審の証人小池マツイ、同福田長次郎の各証言、及び控訴人本人尋問の結果によると、本件約束手形は控訴人が中村正に対し追加出資を求めたところ、同人から五万円を出資するが妻(被控訴人)の手前出資済の一〇万円についても手形を書いてくれといわれたので、椎茸協会の経営が黒字になるまでは請求しない約束で振出したというのであるが、本件約束手形が出資金に対し振出されたものと認められないことは前記認定のとおりであつて、本件約束手形振出に際し中村正と控訴人との間にかゝる約束があつたとは認め難いから、右各供述は措信できないし、ほかに中村正の欺罔行為を認定するに足る証拠はない。のみならず詐欺による約束手形の振出行為はその相手方(本件では中村正)に対し取消の意思表示をなすにあらざればその効力を失わないものであるが、控訴人は本件約束手形の振出が詐欺にもとづくことを主張するのみで、これを取消したことは何等主張立証しないのであるから、右抗弁は到底採用できない。

次に控訴人は、「仮に本件手形が有効な手形であるとしても、中村正は以上の人的抗弁を回避するためその妻である被控訴人に譲渡したものであるから裏書の効果意思がなく、従つて譲渡の効果は発生しない(原判決事実摘示抗弁(4) )」旨主張するが、その前提とする人的抗弁がすべて理由ないのであるから、右抗弁は前提を欠き採用できない。

更に控訴人は、「もしそうでないとしても、中村正と被控訴人との間の裏書譲渡は両者相通じてなした虚偽の意思表示であるから無効である(原判決事実摘示抗弁(5) )」旨主張する。被控訴人と中村正とが夫婦であることは当事者間に争いがなく、そして原審の証人福田長次郎、当審の証人小林勝由、原審及び当審の証人小池マツイの各証言によると、被控訴人は農業の傍ら同人名義で金融業の許可を受けているものの、資金の融通やその他金融関係の実際の仕事は多く中村正が担当して行つていることが認められるけれども、然しながらかゝる事実から直ちに右裏書は中村正が控訴人に対して訴訟を提起するために形式上第三者である妻(被控訴人)の名を借りた虚偽の裏書であるとは到底認め難く、ほかに控訴人の右主張事実を認めるに足る何等の証拠もないから、控訴人の右抗弁は採用できない。

更に控訴人は、「被控訴人は控訴人が中村正に対して有する前記人的抗弁の存在を知つてその手形の裏書譲渡を受けたいわゆる悪意の取得者である。たとえ抗弁の存在を知らないとしても、同人は中村正の妻でこれと一体をなして共同生活を営み同一家団を構成するものであるから、法律上も中村正と同一の人格として取扱うべきであるので、控訴人の中村正に対する抗弁をもつて被控訴人に対抗し得る(原判決事実摘示抗弁(6) )」旨主張するが、その前提である控訴人の中村正に対する抗弁がすべて理由がない以上、控訴人の右抗弁は前提を欠き採用できない。

(六)  従つて控訴人の抗弁はすべて理由がないから、控訴人は被控訴人に対し本件約束手形の振出人として手形金一〇万円を支払うべき義務がある。また遅延損害金については被控訴人が満期に支払を受けるため右手形を呈示したと認むべき証拠がないので本訴状の送達により控訴人は遅滞に付せられたものというべく、従つて本訴状送達の日であることが記録上明らかな昭和三二年三月一四日以降右手形金完済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるといわなければならない。

(七)  以上の次第であるから、被控訴人の本訴請求中、控訴人に対し一〇万円及びこれに対する昭和三二年三月一四日以降右完済に至るまで年六分の割合による金員の支払を求める部分は正当としてこれを認容し、その余の請求は失当として棄却すべく、これと結論を同じくする原判決は結局相当であつて本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条によりこれを棄却し、訴訟費用の負担につき同法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石沢三千雄 吉江清景 竹田稔)

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